2026/08/01 13:35

アメリカ遠征中、驚いたことがある。

それは「アメリカ人は、バーガーを潰して食べる。」という現象について。

バーガーが手元に届くやいなや、まず包み紙を外す。 おいおいおい。日本ならそれは、具材をこぼさず、なるべくきれいに食べるためのサポートキットのような存在だぞ。 私はそう思いながら、素っ裸のバーガーを注意深く見守る事にした。

(アメリカ西海岸の王道 IN-N-OUT BURGER / 最初はちゃんと包まれてます)

事件は、2秒後に起きた。「ブチュ、ブチュ、ブチュ……」と、バーガーが両手で押し潰されたのだ。 ええぇぇ。初手でバーガーを潰しただと!?。きれいに積み上げられていたバンズ、パティ、レタス、チーズが何の相談もなしに一斉に圧縮されていく。 肉汁は四方八方へ飛び出し、具材はぎゅうぎゅうに押し込まれている。 なんだか少しかわいそうにも見える。 バーガーは、一瞬のまばたきの間に、UFOのような細長い円盤になった。

私は未だパニック状態。「食べ物で遊んじゃいけません」そんな祖母の声まで脳裏に蘇る。 わ、私なんて、「よく混ぜてお召し上がりください」と出された温玉シーザーサラダでさえ、形を崩すことを一瞬ためらう人間だというのに...!!! そんな私の前で彼らはバーガーを潰した。 ところが、円盤状になったバーガーは、彼らの手に妙に馴染んでいた。 指で押さえた場所がへこみ、口へきれいに収まる高さになっている。それを次々と頬張っていく。私は固唾をのんで見守った。

(映画パルプフィクション/ジュールスも潰して食す!)

そこで、ある重要なことに気づいた。とんでもなく、うまそうなのである。

おかしい。おかしい。 せっかく整えられた形を壊し、具材を圧迫し、ほとんど弄ぶように食らっている。 むしろ、形を崩さないよう慎重に食べている人よりも、ずっとうまそうなのだ。 これはなんなのだ。 料理への敬意を欠いているように見えるのに、一方で料理を最も喜ばせているようにも見える。

この秘密をなんとしてもも明らかにしたい私は、バーガーの潰し食いに初挑戦することにした。

目の前には、広告写真さながらのバーガーがある。 バンズはふっくらとしていて、その隙間からチーズとレタスがきれいに顔を出している。 これを本当に潰していいのだろうか。しばらく両手で持ったまま迷った。 けれど、ここまで来てやらないわけにもいかない。恐る恐る上から力を加える。 「ブチュッ」バンズが沈んだ。チーズがパティの縁から押し出され、ソースが横からにじみ出る。 もう元には戻らない。バーガーの美しい時間は終わった。仕方なく、そのまま口へ運んだ。

( アメリカ美女も潰して食す! 性別や年齢なんて関係ない)

ここで第一の衝撃を覚えた。 一口目から、全員いたのだ。肉も、チーズも、レタスも、ソースも、バンズも、最初から一つの塊になって口の中へ飛び込んでくる。普段なら、二口、三口と食べ進めながら、口の中で少しずつ出会っていく食材たちが、すでに全員集合している。 チームワークがMAXなのである。誰か一人だけが先走ることもなく、レタスだけが逃げ出すこともない。肉とチーズの間にソースが入り込み、柔らかく潰れたバンズが全部をまとめている。 一口目から、料理としてのスタートダッシュが決まっていた。

(映画パルプフィクション / ミアも潰して食す!!)

そして、もう一つ変わったことがあった。 きれいに食べるという仕事が、なくなったのだ。 どこから口をつけるか。具材を落とさずに食べられるか。口や手を汚さないか。そんなことを考える必要がない。なぜなら、すでに潰してしまったからだ。もう見た目を守ることはできない。美しく積み上げられたバーガーには戻らない。だったら、あとは食べるしかない。

そう思った二口目から、私は急に大胆になった。 口を大きく開けた。ソースが手についても気にしなかった。レタスが少しはみ出しても、そのまま押し込んだ。気づけば、バーガーの形ではなく、味のことしか考えていなかった。食事という快楽に全集中できた。 あぁ、潰すことは、ただの破壊行為ではなかったのか。 それは「きれいに食べなければ」という意識を断ち切るためのおまじないだったのだ。 潰す事で、心から喜んで食事ができた。きれいに食べることより、うまそうに食べることをしていた。
(ただ私が好きな写真。奥にマクドナルドが潜んでいる。)

そうか、アメリカ人が潰していたのは、バーガーの形だけではなかったのだ。 「きれいに食べなければならない」という、自分の中の妙な緊張まで、一緒にブチュブチュと潰していたんだ。 これが自由の国、アメリカ合衆国ってやつか。

そして私も、人生でいちばん不格好に、でも、人生でいちばんうまそうに、バーガーを食べた。

文:大塚